原発を拒み続けた人たち

 

「かつて和歌山県には四町の五カ所に原発計画があった。昭和四〇年代、関西電力は主要電源を火力から原発にシフトしようとしていた。そして若狭湾に集中しすぎる原発を太平洋側にも設置して地域的なバランスをとろうとした。その結果、紀伊半島が狙われたのである。関西電力の原発立地をめぐって二〇年を超える激しい攻防が和歌山で繰り広げられることになった。しかし現在、和歌山県内には原発は一基もない。三重県を含めて紀伊半島に原発は全くない。…」(『原発を拒み続けた和歌山の記録』寿郎社より)

 

原発推進勢力は用意周到に狙いを定め執拗に迫る。格安旅行、無料タクシー、毎日の飲食接待。札束で住民を分断し裏切者を仕立てる。平和でやさしい村が疑心暗鬼の森に変わっていく。沖縄県名護市でも同じ光景があった。基地も原発も同じ構造だ。

和歌山県「日高原発・核燃料施設反対30キロ圏内住民の会」の橋本さんのお話を聞いた。留守ならば何度でも訪問して有権者過半数署名を集める、集会を1000人以上で何度も成功させる、1万点以上の品物が集まり、バザーで資金作り…実に38年のたたかいがあったなんて…知らなかった…。日本の至るところで、勇気をもって立ち上がった人たちの反対運動があったんだ。

大飯再稼働差し止め判決が言う「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していること」は、反対運動でたたかった人たちが守り抜きたかったことだ。